2009年12月17日

越境文学

越境文学」「揺れる言葉」 

「越境文学は外国人作家が書く日本文学」。3年間日本語を勉強しているベトナム人の私は初めて「越境文学」という概念を知った。感動した。越境文学の魅力を感じ、修了論文の研究問題として書こうと思い始めた。以下にはこの問題に関する自分を考えを少し述べてみる。

 

1.            越境文学の存在への疑問

この記事を読んだとき、頭に浮かんできた第一の疑問というのは「どうして外国人、非漢字文化圏出身の人までも母語をとらわれずにわざと日本語で文学を書いたのか」である。不思議だと思う。

 

第141回芥川賞に候補者として入ったイラン人のシリン・ネザマフィさんが挙げた理由は「日本に住み、日本語が一番書きやすい言語になっていた」である。ネザマフィさんと日本語で文学を書く外国人作家としてよく知られているそうであるリービ秀雄さんの場合から見ると、ほとんどの越境作家は日本に長い間日本に滞在したことがあると分かってきた。つまり、これらの作家は日本語能力が高いし、「日本語に対して意識的に結構なっている」と言えるだろう。言葉を変えれば、日本語は90パーセント作家の母語になってきたということではないだろうか。そのため、「日本語は敷居が高い」という壁を乗り越え、日本語で文章を作るのに努力しているかもしれない。

 

たぶん、その90パーセントは外国人作家を日本語で文章を書き始めようと促せただろう。しかし、外国人作家が日本語で次々文学を書き続けるのには十分ではないと思う。日本人作家の日本語で書いてある作品や、翻訳作品と違うところを作る秘密はその10パーセントにあると思う。「言葉の揺れ」を作るという大事な役割を果たす部分だと言っても過言ではないだろう。

to be continued ...
posted by フオン at 01:09| ハノイ 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月16日

自由と責任感

  

今 日本に暮らしている。

毎日日本の水を飲んだり、日本の料理を食べたり、日本の空気を呼吸したりしている。

目を覚めたら、日本の景色を眺めたり、日本のテレビを見たりしている。

目を閉じたまま手を広げると、日本の冬・風・雨・太陽・空を抱きしめるような気がする。

 

そう!確か今日本にいる。やっと実感が湧いてきた。

 ただ、バランスのない境に立っている微妙な感じをしている。to be continued ...
posted by フオン at 19:31| ハノイ 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

「余計な人生」


「余計な人生」は革命時代の文壇で有名なナム・カオという小説家の短編小説。「チーフェオの死」、「眼」と「余計な人生」は高校で勉強したナム・カオの3つの作品であった。フランス殖民主義の支配からベトナムを解放した「1945年8月革命」の前の農民の生活について物語る「チーフェオの死」(日本語に翻訳された)と違って、「余計な人生」はその時代の作家の生活について語る。


作家であるホーという主人公は小さい沼のように気詰まりな時代に暮していたという。ホーにとっては文章を書くのは人生の一番尊いで、集中と工夫とが必要な作業である。しかし、家族のために、文章を書くのは彼の金を稼ぐ方法に変化してしまった。言葉遣いとフレーズ組み立ることなどに煩くて厳しい作家というホーは、金をたくさん稼げるように早く早く書いてナンセンスで軽い作品を出すようになった。ホーの作品を読む読者の心には何も残っていなかった。それに、ホーに作られたものは彼自分自身にも文章として認められなかった。

to be continued ...
posted by フオン at 17:25| ハノイ 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

夏の涼しい日にホームレスばさんに出会うことを少し考え


乞食・物乞い

 

そして

 

浮浪人・ホームレス

...

 

同じであるか?違うか?

実は、同じか、違うと言ってもいいと思う。誤差が微妙だから。辞書を引いたら、日本語ではこういう風に定義されている。「やむをえない事情、あるいは本人の意思により、他人から物品や金銭の施しを受けて生活している者(物乞い(ものごい)、ものもらいともいう)。一般に住居を持たない貧困者(ホームレス)が行う事が多いと誤解されているため、転じてホームレスをさす言葉としても使われる場合がある。乞食は必ずしも住所不定ではない。」


 
ベトナム語では浮浪人・ホームレスという言葉はあることはあるが、普及していない。ベトナム人が使い慣れているのは、乞食・物乞いという言葉である。そして、浮浪人・ホームレスマンと言えば、乞食や物乞いをしながら生活する人々だと、思わず思い浮かべる傾向があるそうである。実際とは違うかもしれない。ホームレスマンが乞食をすると必ず言えるに限らない。to be continued ...
posted by フオン at 01:14| ハノイ 曇り| Comment(4) | TrackBack(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月19日

魅力



ブハハハ...おもしろい!

このブログ
を見ると、笑わずにはいられない。これは、ある日本人がハノイで発見した面白いシーンを紹介するブログだ。ベトナム人である私はこのシーンを見慣れていても、我が国がおもしろい国だとは言わずにはいられない。(笑)どうして「ベトナムは活気が溢れる国」だと日本人によく言われるか、今分かってきた。

別の日本人のブログも見た。筆者は、名所に行きたいという理由だけでわざわざとベトナムを旅しないほうがいいと勧めた。実は、初めはちょっと腹が立った。(笑)しかし、よく考えればそれは聞くに足る忠告かもしてない。日本と比べたらベトナムの景色は、特色がないとは言えないけど、そんなにきれいではないと、ベトナム人の私までもそう思っているから。しかし、ベトナムで見るに足るのは、景色よりベトナム人の生活だ。「めちゃくちゃ」の生活だ。

この前の記事でカルチャーショックに触れたとき、「めちゃくちゃ」という言葉を使って現代のベトナムの状況を表した。外国人はベトナムの「めちゃくちゃ」をどういう風に見るのか、心配していた。特に、静寂と几帳面が好きだと言われている日本人ならば、この状況を受け入れにくいかもしれない。心配していた。

「めちゃくちゃ」状況は国の発達に悪い影響を与えていると考えられ、国民・政府がちゃんとした国に変化させることに取り組まなければならないと呼びかけられる。それは短時間で完成するわけがない。言い換えれば、この状況はこれから少なくとも10年間まだ続いていくと思う。もちろんベトナム人としては早く変えてほしいが、焦っても何も変わらないし、いつかこの一時的な「めちゃくちゃ」が除去されてしまう。ですので、この状況のおもしろい面を見ながら楽しむことにしたベトナム人が少なくないと思う。

その考え方のためか、「世界一幸せな国2009年」というリストの5位を占めたと報じられている。それは英国のシンクタンク、新経済財団というNEFに、世界各地の人々が感じる人生への満足度に加えて、環境に対する負荷の度合いや国への期待度などをそれぞれ数値に換算した幸福度指数(HPI)を算出され、作られたリストだ。「めちゃくちゃ」に対する超楽観的な態度だ。

華々しい風景や建築などより、それはベトナムの魅力かなぁと思い始めた。(笑)

posted by フオン at 12:45| ハノイ | Comment(2) | TrackBack(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

私は、ベトナム人です


1年前に、あるブログの記事を読んだ。すっごく感動した。彼女は戦後生まれの若者であるベトナム人の我々の考え方をうまく書いてくれた。彼女は、ベトナムの若者が国への感情を正直に書こうと呼び上げた。実は、私は何度も書いてみたかった。けど、書けなかった。ペンを取り上げて、書き始めるたびに、気持ちがバラバラになって、どこから書いたらいいのか、迷っていた。結局、何も書けなかった。わが国について語りたいことが多すぎて、簡明な文章が作れなかったかもしれない。また、彼女の記事は私の考えをすべてまとめたような気がした。

 
だから、ここでは翻訳する。                              

  
私は、ベトナム人です

 
私は、国の平和時代に生まれた。戦争についてはあまり知っていないが、戦争の影響がよく分かる。我が国について触れると、「ベトナム戦争」などの言葉で呼ばれることがイヤだ。それは過去の話だった。世界の人々に我が国をただ「ベトナム」で呼んでほしい。 

私は、ブログの記事を書いたり、チャットしたりするとき、ベトナム語の文の中に英語の言葉をときどき利用する習慣がある。便利だから。でも、話すとき英語の言葉を所々使うのがイヤだ。正確な母語で話せたり、書けたりすることに誇りを持っている。それは、現代の若者にとっては簡単なことではないと考えられている。
 

ベトナム人としては、ベトナムの二人の王様である
L ê Thánh Tôn Lê Thánh Tông違うところを外国人の友達に説明してあげられなくて、恥をかいた。歴史の本を何冊も読んでも、我が国の歴史のことが正確に覚えられない。

外国の料理を食べたことが多いけど、ベトナムの料理が一番好き。ベトナムの料理には野菜がたくさん付いているから。(私は、そもそも野菜が大好き)ベトナムほど食事に野菜を利用する国がないと思う。ゴイ、フォー、バン・ベオ、バン・クオン、バン・セオなどが大好き。ベトナムでは下等なのにおいしい料理がたくさんあることに誇りを持っている。

他のベトナム人のように、私もバイクを一台と免許書を一枚持っている。バイクの姿なしのベトナムの道路を想像できない。渋滞、乗り物のクラクションのうるさい音が大嫌い。けど、バイクなしの生活が本当に大変だし、つまらないと思う。3月、4月か5月の夜、緑並木が二つ平行に立つサイゴンの道をバイクに乗ることが好きだ。それはタウ・ザウ(?)の花の咲く時間だ。胸が膨らむまでその微かな香りを吸い込むことが大好き。それは、車に乗ったらやれない、ストレスを解決するステキな方法だ。

私には、国の伝統的な衣服であるアオザイを着る機会があまりない。また、自分の人体を見るとアオザイを着る自身も出ない。しかし、衣類箪笥にかけるためだけのオーダーメードのアオザイを一着持っている。なぜかというと、ベトナムの女性としては自分のアオザイが一着もないのはみっともないからでしょ?

現在のベトナムの試験制度、教育制度が大嫌い。知識、認識に欠陥を負う若者を養育しているから。教育省新大臣が5年〜10年間後ベトナムの教育の状況を改善するという約束を守ると期待している。

庶民を困らせる官僚のやり方が大嫌い。成績病気も汚職も大嫌い。不平等が溢れているこの社会も大嫌い。しかし、何と言っても現在の政治体制に満足だと思っている。この体制のおかげで、ベトナムは今安定しているし、戦争もテロもないし、川のように血が流れる姿がないし。ベトナム人に生まれて、平和な国で生活が送れているのは本当によかった。

豊かな遠い国に住みに行く夢を抱くベトナム人が少なくないと聞いた。現在のベトナムの生活がつまらなくてたまらないと思って、高尚で豊かな生活ができるのは、穏当な欲求だと思う。しかし、彼らのように絶対にならない。ベトナムを出るのは当然だけど、それは旅行や留学などのため。ベトナム以外の所に住まないと自分に約束した。 


「私はベトナム人です」。私の名前さえそういうことを現す。自分の名前には「THI
」(ティ)があるから。ベトナムの女性はほとんどその「ティ」を持っている。それはずっと昔からのベトナム人の名前のつけ方の特徴だ。けど、現在その特徴を廃棄する傾向がある。今のベトナム人の親たちは子供たちに「ティ」なしのきれいな名前をつけている。「ティ」は私の名前を長くしているが、そのおかげで会わなくても誰も私の性が分かるようになる。「ティ」は私の名前を田舎臭い感じを与えると言われるが、名刺の表面に「グエン・ティ・タン・チュック」と完全に印刷した。「ティ」を排除して名刺を印刷する人が少なくない。しかし、私にとってはそれは本当の自分を認めないに等しいと思う。


ベトナムを愛していると言わない。本当にそうとは感じていないから。ベトナム人に生まれ、ここで成長したのは本当に良かったとしか言わない。そして、死んだらベトナムで死んでここで埋められると望んでいる。。。 

私は、ベトナム人です。
 ――to be continued ...
posted by フオン at 10:06| ハノイ | Comment(4) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月29日

お誕生日おめでとう!


「フオンさん、21歳
お誕生日おめでとうございます」
21歳の君の夢というのは何ですか?

会話試験には「将来の夢を話そう」というテーマが出てきた。練習を始めたとき、迷っていた。私の夢は何でしょ?どんなに考えても、自分の夢は何か、全く分からなかった。夢を持っている人をちょっと聞きたいんですが、夢は一体何ですか?
夢は将来やりたいことと答える人が少なくないだろう。しかし、そういう定義のし方は納得できない。私には将来やりたいことは数え切れないものだから。
・ 日本に留学したい
・ 日本語勉強するベトナムの学生たちを応援したい
・ アフリカへボランテイアをしに行きたい
・ 国の両端(HaGiang と CaMau)を旅したい
など
バラバラの「やりたい」ことがあるんだ。それは夢だと言われれば、毎日の夢が違うかもしれない。夢はもっと大きなことだと思っている。そして、その夢をかなうために、必死に頑張れるようになる。つまり、夢は、人間の生き方をちゃんと整理するというものである。言葉を変えれば、夢は一生の目標と言ってもいいだろう。

そうすれば、私は夢を持っていないと言える。人生の目標は何だろうか、21歳の私は、正直と言ったら、分からない。人生の一番やりたいことが見つけられなかったので悩んだときがある。しかし、そんなに焦る必要がないと今思っている。一生の目標を見つけるのは難しくて、確か青春時代の挑戦だ。その目標を発見するために、いろいろな道を行いてみなければならない。間違ったら、やり直し、もう一度スタートからゆくべきだ。それは若者ならではのやり方

だから、今の私は夢を持っていないけど、日本語を学ぶという道を選んだので、頑張っている。着実に歩いている。将来一番やりたいのは何かに関わらず、今「やれることを100%の力でやる」だけと考えたい。

それは、21歳の誕生日の考え。

to be continued ...
posted by フオン at 03:25| ハノイ | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

作文から論文へと脱皮させる例 ^^



これは、去年書いた作文です。そして、工夫を入れられたあと、論文になります。^^

どうぞ、ご覧ください。to be continued ...
posted by フオン at 04:49| ハノイ 霧| Comment(0) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

障害者・労働者



障害者と労働市場における「機会の平等」
 

障害者は普通人と違って、身体的、精神的な損害を受けた人である。しかし、そういっても、障害者は普通人と同じような権利の享有権を持っている。日本のような先進国では障害者の保健と福祉に関する政策の効果が証明されていると聞いた。ベトナムのような発展途上国ではこれらの政策はどうのように行われているのか。障害者に向いた政策がいろいろ講じられているが、効果的には少し疑わしい。

 

本稿では、ベトナムにおける障害者の事情を調べる。そして、障害者雇用事情を中心にして見ることにより、労働市場における「機会の平等」を障害者に与えるという政府の役割の実施を考察する。

to be continued ...
posted by フオン at 04:33| ハノイ 霧| Comment(0) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

「泣いた赤鬼」

...手紙「親愛なる赤鬼くんへ。もし君が悪い青鬼の友達とわかったら、子供たちは君から逃げてしまうでしょう。だから僕はもう君には会いません。一人遠くへ行きます。どうか子供たちと仲良く暮らしてください。さようなら。青鬼より。」
赤鬼「ああ、青鬼くんが行ってしまった。あんないい友達だったのに。行ってしまった。」
赤鬼くんと青鬼くんは二度と会うことはありませんでした。                                                                     <泣いた赤鬼>

 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/akaoni.html

この昔話を読んだとき、ただ友情についての感動的な昔話だとしか思わなかった。でも、村上先生のブログを読んだ後、別の意味が教えてくれた。国際交流に関する、この意味はいろいろ考えさせている。


http://mongolia.seesaa.net/article/78794947.html
 

そして、私も別の意味を言いたいと思う。友達との関係、国際関係ではなくて、家族以内・親子の間の関係だ。ここでは「赤鬼−青鬼」という話も潜んでいると思われる。

to be continued ...
posted by フオン at 01:59| ハノイ | Comment(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする