2009年02月04日

慰め方が下手な私、


私は、人を慰めることが苦手なんだ。

誰かが寂しいとき、がっかりするとき、どうしたらいいのか、いつも迷っていたんだ。何回か楽しそうなことについて話しかけてみたけど、やっぱばからしかったようだ。無理しているように見えたんだから。実は、そのような時、何をしても、話しても余計なことになると気になるんだ。しかも、自分の臨席までも余計なことのようだと感じられる。それで、ほとんどはずっと黙ることにした。

 

でも、生死に関する問題に遭った人を慰めるとき、黙るのはちょっと。。。

肝ガンになったご主人を世話している親戚のおばさんがあるんだ。そのおじさんはもう長くないそうだ。私は、おばさんとおじさんのこと、本当に好きだから、おじさんの治せない病気で泣くおばさんの苦しい姿を見たら、本当に寂しくなった。けど、そのときにでも、慰める言葉を話し出せなかったし、抱きしめるなんか、慰める行為みたいなこともできなかった。おばさんの息子・娘と仲よくやっているんだけど、そんな悲しいことについてちゃんと話したことはない。おじさんの病気が悪くて、入院するたびに、知っていた私は、携帯電話で慰めるメッセジーぐらい送らなかった。冷たかったなあ、本当に。でもさ、みんなはいつもできるだけその悲しい話題を避けていると強く感じられる。その微妙な話にさわやかに触れると、何かもろいものが壊れるようになっちゃうという感じだ。そして、自分でも怖いんだ。でも、今はどうやら自分らしい慰め方をすることが決めた。私なんか、一緒に泣くことができないと思う。簡単に泣けない者だからさ。でも、できるだけ笑ってあげることにした。冗談を言ったり、おじさんとおばさんをできるだけ笑わせることにした。

 

「おじさんとおばさんと会うとき、何をやっているの」と友達に聞かれたんだ。友達の友達が別のガンの病気になっちゃったそうだから、彼女は慰め方にも迷っていたようだ。「フオンさん、彼はたった20歳だよ。。。彼といるとき、何をやらなきゃ、何について話さなきゃ」とも彼女に聞かれた。「普通のように、一緒に笑ってください」と答えるしかなかった。あくまでもそれは彼一人だけの問題じゃないか。どんなに慰めても、彼の寿命を長くしてやることができないんじゃないか。だから、慰め方を見つける代わりに、自分の人生を一生懸命に生きて、自然に行動したほうがいいと思う。病気になった人を慰める一番いい方法は、彼らを普通人として扱うことだと思う。

 

難病にかかった人として、一番怖いのはたぶん、死ではなく、周りの人に迷惑をかけることだろう。というと、治せない難病とは前に知らせられた死亡だと言われているから。そして、障害者や寝たきりになったら、家族や友達などに迷惑をかけたり、悪い最後の思い出を与えたりするのは、死よりもっともっと怖いと思うようになるかもしれない。

 

難病にかかった人ではない私は、そういう風に勝手に考えてしまった。すべての場合に当てはまらないかもしれないが、慰めることが下手な私にとっては、たぶんしかたがないだろう。

 
posted by ノラ猫 at 12:24| ハノイ ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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