2009年02月18日

お年寄りを手伝うこと

  

「困っている老人を手伝うべきだ」というのは、子供のときから、親にだけではなく、誰にも教えてくれた基本的な道徳教訓だ。それは、道徳上の行動だけではなく、義務だと考えられている。手伝わないと、安心しないし、申し訳ないという気持ちがあるかもしれない。だから、ベトナムではお年寄りを手伝うのは、若者にとって、当たり前なことになっている。バスでおじいさんに席を譲る、おばあさんを連れて道を渡る、階段を下りるおばあさんを手伝う、重い荷物を持つおじいさんを手伝う若者の姿は珍しくない。

 

実は、この教訓はどんな国でも教えられていると思う。そして、若者がどんな国でも年をとった人を手伝いたがるとも思う。でも、ベトナムと比べて、日本では老人を手伝う若者の姿はあまり表していないそうだ。そのお年寄りの反応と考えは、この格差を起こした原因として挙げられるだろう。

   

ベトナム人の老人にとっては、若者が年をとった人を手伝うのは、普通のことだという。そして、若者に自分を手伝わせるのも当たり前なことだし、若者たちにいいことをするチャンスをやることだから、別の考えがぜんぜん出て来ないようだ。若者を手伝わせると同時に、自分が老人になっちゃったと認めているという気持ちがあまりないようだ。しかし、日本人の老人の場合には、そういう気持ちが強いそうだから、若者が手伝ってくれることが嫌になるかもしれない。

 

今の日本では少子化が進んでいるので、年をとった人は、誰にも頼らず、自分で一人でも暮らせる生活に慣れなければならないのだから、そういう気持ちは理解できると思う。ベトナムでは、子孫がいっぱいある老人は、年をとればとるほど、子孫に依存するようになっているようだ。自分が年をとった両親に頼られることは当然だし、両親の一生の恩を報いないと、許せない犯罪をやっちゃうと思う子供も多いそうだ。

 

実は、老人に手伝わせてくれたのは、若者であるベトナム人の私は本当にありがたいと思う。心からの手伝いが相手に認められたので、今度もほかの人を手伝う勇気は手に入れられた。最初の恥ずかしい感じとか、遠慮する感じとか、だんだん亡くなった。でも、もし「何をやってるの?私は、老人じゃないよ」と一度ぐらい言われれば、どうだろうか。手伝う前に、相手の気持ちを考えるべき、「あの方にとっては、自分からの手伝いが本当に必要なのか」と判断するべきだと、ちゃんと考え直すようになるかもしれない。それは、ぜんぜん良くないというものではないが、心からの手伝いがそういう風に扱われたら、誰かを手伝う前に、遠慮するようになるのではないだろうか。そうと言えば、老人を手伝う簡単な行為は、慎重な判断、十分な考慮が必要である微妙な行為になっているのではないだろうか。

 

本当に難しいんだなあ。。。

posted by ノラ猫 at 12:53| ハノイ ☁| Comment(1) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そうなんですよね。
日本のお年よりは、自分の年齢を受け入れることができない人が多いんです。
席を譲ると「私は老人ではない!」とか言って怒ったりしますから。
ベトナムのお年寄りのように、素直に座ってくれれば、こちらも譲りやすいんですが。

Posted by 村上吉文 at 2009年02月18日 19:16
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