2009年04月24日

ケータイ電話

「親は子供をケータイを持たせてやったほうがいいのか」

 

ケータイが豊かな人ならではのものとして認められた時代が、もう崩れてしまった。今ケータイを持つのがごく自然なことになっている。ケータイについての意識が変わっているに加え、ケータイサービスを経営する会社が市場において増えてきているに従って、利用コストがだんだん低下している。そして、携帯電話の加入手続きも簡単化されているし、ケータイそのものの価格も下がってきている。これらのすべての変化は、ケータイの活発的な普及を促した。

 

「ケータイ王様に忠誠心を尽く国民」になる若者の人数は、はるかに増えていく背景には、「ケータイが高校生にまで普及しているのは本当にいいか」「高校生にケータイを持たせるかどうか」という問いが挙げられてきた。この問題をめぐって、いろいろな議論が行われているが、結局「そんなに早く持たせるのは、良くない」「高校生にケータイを持たせないほうがいい」と結論されるようになった。しかし、世論がそういう風に決めたといっても、どうやらケータイを使う高校生の数が着実に増えていく。こんな反対状態になっている理由が多いが、ケータイが容易に手に届くツケが回ってきたと言ってもいいかもしれない。結局、親たちは、子供がケータイを持つ事実に対して、適当な反応を選択せざるを得ないという状態に置かれるようになる。

 

本稿では親の、「自分の子供がケータイを持っている」という現象に対する、親の反応について調べてみよう。そして、親の受け取り方は、どういう風に高校生の子供たちに影響を及ぼすのかにも触れる。

 

この事実に対する、親の反応が三つの種類に分けられると思う。

 

1、「絶対だめ。ケータイを持つなんて、お前には100年早いだぞ」と強い反対である。

こういうタイプの反応は、親の断固たる姿を示し、簡単に理解できると思う。ケータイが起こす問題は、利用者である子供にささげる利便性よりもっと慎重に検討されないと。例えば、自転車を運転するときや、道を横断するときなど、呼び出し音に気を取られ、あるいは話に夢中になって事故に遭う可能性がないとは言えないだろう。また、高そうなケータイを使う子供は、犯罪が襲われる対象、ひったくりされる対象になるかもしれない。さらに、勉強中や授業中、ケータイに鳴られたら、集中力が落ち込む。「大学入試にそろそろ出る高校生である以上、勉強がもっともっと大切だ」という理由を挙げてケータイを持たせないことにする。

 

子供たちは、こういう反応をどう受け入れるのか。ほとんどの子供は、「いや、おやじが心配し過ぎる」と諦める。でも、どうしてもほしがっているなら、ケータイを買うために、塾をサボり、こっそりアルバイトをしてお金を貯める子供は、少なくないだろう。この場合、子供の頭には「親にとって私はまだ子供っぽいし、信じてくれないだろう」と考えが出てくるかもしれない。

  

2、「いいから。使って」と積極的に反応する。

「ケータイがそもそも人間の生活に仕える、便利な端末機でしょ。ケータイそのものが悪くない。悪いのは、利用者の使い方だ」と考える親は少ないが、いないわけがないだろう。もちろん子供がケータイを使うときのリスクも心配するはずであるが、子供にケータイを使わせることによって、高いものを大事にすべきだという基本的な教訓を与えられるだろう。さらに、時間セットとか、メモを取るとか、ケータイの機能を生かし、勉強と生活習慣に有効かもしれない。そして、塾によく行く高校生である以上、ケータイを持つのが必要だと考える親の数が増える傾向がある。「社会がだんだん危ないところになっているから、念のためにいつでも子供と連絡を取り合える」「子供の時間帯を把握できる」という考えはこの増加の理由として挙げられる。それは、限界以内の枠に甘やかすというものである。

 

子供側は、このような結構自由な反応についてはどう考えるのか。ある新聞の調査によると、この問いに対する答えはさまざまであるが、ほとんどは感謝し、大事に使うと分かってきた。というと、自分への信頼と関心が感じられるからだと言われる。

 

3、「まあ、いいじゃ。もう大人だから」という寛大過ぎる反応である。

子供がそろそろ大人になると考え、ケータイを主動的に買ってやり、自由に使させる親も少なくないだろう。こういうスタイルの反応は、言葉を変えれば、「子供任せ」と呼んでもいいかもしれない。しかし、このタイプの親の希望に逆らって、でたらめに使い、ケータイの原因で起こった犯罪に引っ掛かったケースも多い。

 

親こそケータイを使わせる意味を分からず、それは当たり前の行動として軽視すれば、子供が大事にしてほしいという希望は無理ではないだろうか。

 

このように、これらも三つの種類を調べたら、子供にケータイを持たせるのか、そして、子供から期待される大事な使い方が生じられるのかは、ケータイを使うことについての親の意識と、子供への親の信頼度次第であるということが分かってきた。だから、「子供を持たせるほうがいいのか」というのは、ケータイそのものにある問題ではない。何と言っても、ケータイは単に連絡道具だけであるからだ。問題は、親が自分の子供のことを何パーセント信じてやれるのかということである。

posted by ノラ猫 at 11:46| ハノイ ☁| Comment(2) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
僕は、高校(高専)に入ったときに携帯を買ってもらいましたよ。
以下の理由でした。
1.中学までと違い、家から高校まで自転車で30分以上かかる。
2.部活動をしていると帰宅が夜10時を過ぎることがある。
3.高校に進学すると中学校のときの友達と連絡をとるのが難しくなる。

フオンさんは、どんな理由で携帯を買いましたか?
Posted by 尾島史彦 at 2009年04月25日 12:30
私、大学に入ったときのプレゼントとして携帯を買ってくれました。そのとき、携帯なんか必要だとは思いませんでした。けど、使えば使うほど、家族や友達と連絡するのに欠かせないものになっています。面倒な点も多いですが、しょうがないでしょう。

ところで、今、ベトナムの高校生と日本の高校生とは違いますから、「高校生に携帯を持たせたほうがいいか」への問いの答えが違うかもしれないね。


Posted by mphuong at 2009年04月27日 01:49
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