2009年06月10日

「泣いた赤鬼」

...手紙「親愛なる赤鬼くんへ。もし君が悪い青鬼の友達とわかったら、子供たちは君から逃げてしまうでしょう。だから僕はもう君には会いません。一人遠くへ行きます。どうか子供たちと仲良く暮らしてください。さようなら。青鬼より。」
赤鬼「ああ、青鬼くんが行ってしまった。あんないい友達だったのに。行ってしまった。」
赤鬼くんと青鬼くんは二度と会うことはありませんでした。                                                                     <泣いた赤鬼>

 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/akaoni.html

この昔話を読んだとき、ただ友情についての感動的な昔話だとしか思わなかった。でも、村上先生のブログを読んだ後、別の意味が教えてくれた。国際交流に関する、この意味はいろいろ考えさせている。


http://mongolia.seesaa.net/article/78794947.html
 

そして、私も別の意味を言いたいと思う。友達との関係、国際関係ではなくて、家族以内・親子の間の関係だ。ここでは「赤鬼−青鬼」という話も潜んでいると思われる。

 

人間だったら、心の中には赤鬼も青鬼がも生きているかもしれない。実は、普通の人だったら、青鬼になる前に赤鬼だ。子供は大人になるに伴って、家族以外へ向かっているし、社会的な人間関係を広げていく。子供は大人になればなるほど、広い海のような社会に溶け込みたいという気持ちが強くなっているから、親の抱っこから離れていく。親子の間には少なくとも18年間の距離があるため、子供が臨んでいる世界は、親の手が届かないところだ。この場合、子供は赤鬼ではないだろうか。

 

親は、青鬼のように、自己犠牲によって世界への子供の歩みを応援する。それは、子供が自分から離れることを促進する行動だと分かっている親にとっては、「しょうがない」選択かもしれない。子供を生んだとき、このちっちゃいな生命をこの世で自分の足でしっかり自立できるように育てるという使命が決まる。けれど、使命が完成する時刻に近づけば近づくほど、親の応援が少しずつ要らなくなるし、そして親への依存度もだんだん減っている。そのことを意識する親の心のどこかで寂しい感じが出て来るはずだ。社会関係に巻かれる成長した子供を見守る親の姿は、村の子供と一緒に遊んでいる赤鬼を見る青鬼の姿に似ているように気がした。

 

もちろん、普通の親は子供をほって置くわけがない。しかし、この場合、赤鬼が立派に成長して、社会的な関係が十分設定されると、青鬼は「行ってしまった」。なぜかというと、青鬼が生死流転を避けることができないからだ。赤鬼は、きっと泣き続ける。けれど、あくまでもこれは当たり前なことだ。自然規律とは逆らえない。そして、時間が経つに従って、子供が親になって、赤鬼が次第に青鬼に化けていく。

それは、よく言われている「人生のリング」かもしれない。

posted by ノラ猫 at 01:59| ハノイ | Comment(2) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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