2009年09月06日

「余計な人生」


「余計な人生」は革命時代の文壇で有名なナム・カオという小説家の短編小説。「チーフェオの死」、「眼」と「余計な人生」は高校で勉強したナム・カオの3つの作品であった。フランス殖民主義の支配からベトナムを解放した「1945年8月革命」の前の農民の生活について物語る「チーフェオの死」(日本語に翻訳された)と違って、「余計な人生」はその時代の作家の生活について語る。


作家であるホーという主人公は小さい沼のように気詰まりな時代に暮していたという。ホーにとっては文章を書くのは人生の一番尊いで、集中と工夫とが必要な作業である。しかし、家族のために、文章を書くのは彼の金を稼ぐ方法に変化してしまった。言葉遣いとフレーズ組み立ることなどに煩くて厳しい作家というホーは、金をたくさん稼げるように早く早く書いてナンセンスで軽い作品を出すようになった。ホーの作品を読む読者の心には何も残っていなかった。それに、ホーに作られたものは彼自分自身にも文章として認められなかった。

「文章を書くのはきれいな作業だったのに、ただ金だけのために『ご飯を捕る釣竿』という下品なものになっちゃった」(当時のベトナムでは毎日ご飯が十分食べられるのは辛かったので、『ご飯を捕る釣竿』に譬えた。)

「夢を持っている人は衣・食・住に絡んだ気詰まりな生活によって泥に引き下げられる。」

。。。この考え方は彼をずっと悲しめていた。(苦笑)


まあ、何と言ってもそれはただ小説の虚構な人物の話だったし、ずっと昔々の貧しい時代の話だった。しかし、よく考えたら衣・食・住などの人間の基本的な需要がちゃんと満たされない(応答されない)うちに、無理に他のことを考えるのは現実的ではないという考え方は今でも残ってのではないだろうか?


「金をたくさん稼いで、家族が皆揃って豊かな生活ができるきれいな家を建てる」という一生のたった一つの夢を抱き、一生懸命働いても、夢を叶えないAさんと、

「金なんかに拘りたくない。ただ自分の好きなことをやりたい」と考えたが、運良くなく貧しい国、貧しい家族で生まれたから自分のため生けないところで、金をたっぷり稼いで家族をサポートすることに必死にならなきゃと思ってもなかなか叶えないBさんと比べたら、どちらのほうが悲しい?

。。。答えなし。


豊かな国の家族を持っていない若い人はたぶんどうしたら自分の需要を応答できるのかどうしたら両親から離れて自立になれるのかとしか考えないかもしれない。しかし、貧しい国に生まれたら子供のときから「自分のためだけじゃなく、両親や家族のためにも生きるべきだ」という教訓を受ける。両親の苦しく暮したりめっちゃくちゃ働いたりする姿から受けた教訓。ちっちゃいころから野菜などを売ることなどの苦労の多い仕事に慣れてきたという子供ちゃんはベトナムでは少なくない。そういう風に慣れすぎたせいか、自分が情けないということが意識できなくなった。だから、いつもニコニコしている笑顔をしても楽観主義者なんかではない。ただ「ずっと苦しく暮してきたので、もう苦痛に慣れちゃった」から。


貧しい国で生まれたある人は、先進国のNGO組織で働き、自国よりもっと貧しくて苦しい国を応援することを目指している。「自国が他の国を支援できるほど発展するまでに待ってください。ほら、そんなに儚いことの代わりに自分の家族の事情を考えなさい」と言われた(苦笑)。何でだろう。。。


このように、豊かな国または家族に生まれて、自分のために100パーセント生きていけるならば、どんなことに遭ってもまだ幸せだと、私はそれだけあなたたちに伝えたい。そして、貧しく生まれた人は。。。しょうがない、頑張らなきゃ。衣・食・住などの日常需要を応答できるように、頑張ろう。ただ、それを一生の目標にしないでください。現実的ではない夢だと言われても気にしないで、選ぶ道をちゃんとゆくのは大事だ。現実的ではない夢を持っている子供たちに対して大目に見えてください。だって、それらの子供がいないと、世界は前に進めないから。

 

posted by ノラ猫 at 17:25| ハノイ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大変、亀コメ(亀のように遅いコメント)ですみません。

日本が一番急激に発展し始めたころに生まれた私は、実は貧しい日本というのを実感したことがありません。

そして、大人になって以降、自分の好きな仕事をして生きてきました。それで金が貯まったかどうかは別問題ですが、それって、非常に恵まれたことなんだよな、とあらためてフオンさんの今回の記事を読んで思いました。

日本は今、貧富の差が広がって、その影響が子供たちに及び始めています。親に生活の余裕がないために、高校や大学に進めない、という子がじわじわと増えている。

ベネッセという日本の教育企業の行った調査では、将来自分が幸せになれると思っている高校生は約半数。
http://benesse.jp/berd/center/open/report/houkago/2009/soku/soku_20.html

豊かな社会になったはずなのに夢を見られなくなっている子が増えている日本。
幸せな国って一体何なのだろう、と考えてしまいます。
Posted by BlueRose at 2009年09月15日 07:44
BlueRoseさん

大変、亀返事(この言葉ないかもしれませんね)で申し訳ございませんでした。
あと3日間日本へ出発しますから、ちょっと忙しかったですけど。楽しみにしていますよ。

「幸せな国」か…
もともと「幸せ」はいつも定義しにくい概念ですね。この記事はただベトナムの事情を見ていた上で書いたものですから、今度日本にいる時期を大切にして日本という国の事情をちゃんと眺めようと思います。
「幸せな国」を定義してみます。
Posted by フオン at 2009年09月27日 23:36
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