2008年10月26日

つりの魅力???

今日は日本語試験が終わった後で、親友と一緒にトンニャット公園に散歩に行った。魚をつりに行った人が多かった。雨が降っても、そのまま座って、つり続けた。つりってはそんにおもしろいのか?彼らは長い間座って、湖の水面をじっと見るのは何のためかな?

魚をとるため?じゃ、そんなことはないね。市場では、魚がいっぱい売れている。魚を食べたかったら、猫に食べさせてやりたかったら、市場に行くほうがいいじゃ?この理由は理論的ではない。では、何で?

集中能力か忍耐能力を練習するためか?それは、メデイアの宣伝のし方だなあ。それは、ちょっとつまらないものじゃないか?趣味っては幸せな気持ちと精神的にリラックス時間をもたらすことじゃないか?つりイコール精神的訓練だと考えば、それは本当に趣味なのか?

落ち着いて、人生のことを考えるため?まあ、たぶんそうかな。。。でも、老人みたいなあ。また、人生のことって、どんなことなのか想像できないわ。

ふうー、趣味っては本当に理解しにくいことだなあ。

じゃ、あくまでも、趣味は個人的なことであり、人々の性格によって違うことだ。理解に力を入れるのは無理だなあ。。。

でも、一度年をとった人と一緒につりに行きたい。つりの魅力を見つけ、味わいたい。。。
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2008年11月14日

カルチャーショック

Photobucket



「外国人は我が国についてはどう考えるのか」という問いが時々頭に入っている。ベトナムと言えば、戦争と貧乏の国を思い浮かべる外国人が多いそうだ。現在のベトナムは経済も国民の生活もよく変わってきたが、そう考えた人はまだ多く残っているらしい。
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2008年11月26日

私にとっての故郷

故郷 。。。


故郷がだんだん変わっている。

ハノイ、ホーチミン市のように、目がクルクルしているほど早く変わっていないが、少しずつ変化している。1ヶ月故郷に帰らなかったら、その変化に気が付いていなかった私は、何となく安心だと感じた。

今度2ヶ月後、故郷に帰ったとき、ちょっとびっくりした。「ありえない。故郷も変わっている」。「私、バカじゃないか?変化は当たり前でしょ?」。もちろん、時代の流れとともに、変わるしかたない。その変化に気が付いたばかりの私は、何となく寂しくなった。故郷はだんだん昔の故郷の特徴が亡くなって、現代的きれいなハノイなんかの完璧な抄本になっている。

大学生の私は、首都のハノイから帰って、ここには別のハノイにまた会ったのだろうか?ハノイのことが好きではないのではないが、故郷に帰ったら静かな町の落ち着いた雰囲気を送りたいと思う。幼いときから、その雰囲気に囲まれた私は、その穏やかな町に慣れている。ハノイに来た時、ショックを受けたが、自分の可能性を生かしたかったら、しかたがないと言って、このにぎやかな町に暮らしたり、勤務したりすることにした。それに、ベトナム中、世界中、いろいろなところに行ってみたいと思う。だから、いつも私を迎える静かなところ、私の戻られるところがほしいから。

何となく心から故郷のことが変わらないという希望が持っている。

その願いは、他人が「おかしい」とか「利己的」とか「子供っぽい」だと評価できるかもしれない。しかし、それはあくまでも、ただ無理な希望なのではないだろうか?誰でも時間の流れと逆らえないものだ。小さな私なんかも、例外ではない。

「世界と時代を変えることができなかったら、適当に自分のことを変えてください」と教えてくれた。この場合には、自分のため故郷の変化に歯止めをかけられないので、自分の考えを変えるべきなのか?受け入れるべきだ、この時代の変化・・・
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2008年11月30日

「変わるもの」と「変わらないもの」


  「ハノイ存在日本人」さんへ


 この世の中には、必ずしも目に見えるものから目に見えないものまで、何でも変わっているとは言えません。しかし、「変わらないもの」と「変わるもの」についての例を挙げるように言われたとき、「変わるもの」の例を簡単に見つけることができる一方で、「変わらないもの」の例はなかなか難しくて、簡単に見つけることができません。

 
やはり、「変わるもの」の中で、“人の心”が一番よく変わっているものだと思っています。しかし、心の変化に限って、何も批判できないと思います。 

 他の人にしたら、「人の心が変わる」ということは悪くて、「裏切る」なんかと同じのようです。特に、恋愛の場合には、そう思う人が多いのではないでしょうか?しかし、私にとっては、その「裏切る」はそんなに悪くないと感じます。心がやはり一番コントロールしにくいものだと思います。意志通り、心を考えさせるのは無理です。心が感じた通りに行動したら、他の人を傷付くことは、時々他の人の信頼や愛情や期待を「裏切る」と批判されるかもしれません。しかし、他の人を傷付かないために、心が感じたことを気にしないで、行動するというのは、「自分を裏切る」ことになるのではないでしょうか?そういったことから、「人の心が変わる」ということは理解でき、許せることだと思います。もし、感情上は誰かに裏切られたら、穏やかに受け入れるしかないと思います。
  
 

「変わらないもの」・・・本当に定義しにくい観念だと思います。人によって考え方が違っています。でも、科学上は、「変わらないもの」は生死規律や時間規律などの「自然規律」だと考えられます。

  おもしろいいことに、天地の動きというのは「変わる」代表的な宇宙の規律の一つですが、宇宙規律自体は代表的な「変わらないもの」の一つです。おもしろい・・・

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2008年12月17日

人間関係中心型の人へ

新しい友達ができることはなかなか難しい。。。しかし、親友との親しい関係を維持し続けるのがもっと難しい。

 

特に、人間関係中心型の人にとっては、新しい友達となることがちょっと怖いかもしれない。なぜというと、新しい友達があったら、昔の友達には前と同じ十分な関心を払えないという心配が出るから。つまり、新しい友達があるイコール親友を裏切るという考え方だ。それで、リスクを無視して、新しい友情を築く代わりに、必死に親友のことに関心を払ったほうが一番安全と思う人が少なくないだろう。

 

賛成できるか?できないか?

  to be continued ...
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2008年12月21日

友達へ

友情


友情にはいろいろな定義のし方がある。人生の中で、恋がたった一つだけある一方、友達がいっぱいいるものだ。恋愛と友情という二つの関係を比較したら、何となく友情のほうが非常に複雑だと感じられる。なぜだろうか?

 
恋が一つだけなので、誰にもシェアせずに、恋人に十分な関心と愛情を注ぐことが簡単だと思う。問題はどうしたら、正確にその伴りょを見つけることだ。これは一人ずつの運に負うところが少なくないと信じる。

 
友情の場合、なかなか難しい。一人だけではないので、どうすれば友達にすべて等しい関心を払えるのか、どうすれば友達との関係を維持し続けるのか、真剣に考えるというものだ。でも、実は、どんな友達にも同じ態度を表すわけではない。つまり、一般的に「友達」といっても、いろいろなタイプに微妙に分けられることだ。私の感じている限りでは、友達が簡単に三つのグループに分けられるのだ。
* グループ(1)親しい友達・・・親友
* グループ(2)同級の友達・・・クラスメート(同僚も入っている)
* グループ(3)メールや手紙を通してやりとりする友達・・・ペンフレンド
to be continued ...
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2008年12月26日

X'mas

12月24日 : MERRY CHRISTMAS ^_^

 

今年のクリスマスには初めて教会に行った。従来のクリスマス、寒くて家を出たくなかったより、クリスマスには関心を持っていなかったので、家に寝てばかりいた。今年、人々がどのようにクリスマスを祝うのかと調べてみたかった。ただ好奇心だった。

 

大教会とホアンキエム湖の辺を歩き回ることにした。

大教会を見たら、クリスマスだったのに、簡単に飾っていたとびっくりした。教会の周辺を歩いたら、特別なこともなかった。友達による、去年と比べ、今年大教会があまりきれいに飾っていなかったそうだ。理由がはっきり言われなかったけど、警官が多すぎたからして、最近信徒が乱暴を起こしたのは理由として挙げられる。結局、完璧なクリスマスが楽しめなかった。残念だった。

 

でも、その代わり、人々がVIETNAMサッカーチームの勝利を祝う空気が味わえた。サンタの服の赤、白の代わりに、ホアンキエム湖の周りには国旗の赤、金色があふれていた。大きな国旗を持って、「VIETNAM−バンザイ」と大声で叫んだサンタがよく見た。サンタがクリスマスの義務を忘れたかなあ。^_^

 

みんな勝利の喜びを一緒に、熱心に分かち合った。ホアンキエム湖の回りに渋滞があったが、みんないやな気持ちを表さないで、一緒に歌ったり、「VIETNAM VIETNAM」と叫んだりした。誰もその渋滞に参加したかったみたい。面白かった渋滞。

私も、その誇りをいっぱい持った人ごみに溶け込んだ。

  
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2008年12月27日

ベトナム人の、日本についての認識


 

ネットにつながったパソコンに、ベトナム語で「日本」を叩いたら、日本に関連する情報が、目がクラクラするほどたくさん出るはずである。

 

第一印象は、日本のことが好きなベトナム人向きのウェブが盛んになっていることだと思う。それも、日本について書いてある記事は、数え切れないほど電子新聞にも個人的なブログにものっている。「日本が大好きだ」、「私の日本」、「日本中毒の者」、「心の中の日本」などという記事のタイトルやウェブのスローガンがよく見られている。それらのウェブと記事の内容はほとんど日本の文化、日本人の丁寧な客扱いや性格、日本の美しい景色、日本のまんが、映画、ドラマなどについて書いてある。

 to be continued ...
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2008年12月28日

yeahhhhhhhhhhhhhhhhhhhh 優勝した!!!

victory.jpg



勝った!

勝った!!

勝った!!!
VIETNAM 優勝したよ。

10年間待っていたベトナム人に、この瞬間が来た〜
10年間の夢を実現した〜

みんなと一緒に勝利を祝いたい
みんなと一緒に国旗を振りたい
みんなと一緒に国歌を歌いたい
国旗の赤が染められている人ごみに溶け込みたい


でも、でも・・・
なんで、なんで、なんでここに座って、試験勉強をやらなきゃ???

さっき、母からの電話がかかった。VIETNAMが優勝した情報を知らせる電話だった。父の叫び声も聞こえた。ハノイの道で勝利を祝っている友達、ホーチミン市にいるお姉さんからメールはもらった。みんなは、のどが痛いほど叫んでいると言った。全国、今夜、寝られないほど嬉しいはずだ。

P/S:VIETNAMチームの優勝のおかげで、けんかしている親友と仲直りできた。ありがとう、ありがとう、VIETNAM






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2008年12月31日

決定的な瞬間を逃がしてばかりいた者。。。

ベトナムチームとタイチームとの試合を見ながら、心配していた私は、何となく自分のことを思い浮かべた。

 to be continued ...
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2009年01月09日

国際家族、国際恋愛




2007年8月、新聞によくのったのは、韓国人と結婚しているベトナム人のお嫁さんの話についての記事だった。ベトナムを離れて、韓国で外国人のご主人と暮らして、2ヶ月間が経った後で、お嫁さんがご主人に殺された。外国人のご主人のことを慎重に調べないお嫁さんの愚かとご主人の凶悪を抜いて、ご主人へのお嫁さんの最後の手紙について、ちょっと話したいのだ。

 

その前に、彼女が愛のない結婚に入り込んだことを強調する。この国際夫婦は、結婚の相手を紹介するサービス・センターを通して、知り合ったので、主人の顔を見る日は、結婚式だった。しかし、ベトナム人の婦人の伝統的な性格を持った彼女は、愛がなくても、頑張って、外国人の主人幸せな家族生活を築くつもりだったそうだ。韓国語が分からなかった彼女は、ご主人と話せなかったので、ご主人への手紙をよく書いたようだ。その手紙等には、ご主人と分かち合いたかったことがいろいろと書いてあった。

  to be continued ...
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2009年01月14日

外国語の勉強

1.親戚の中には悲しいおばちゃんがあるんだ。おばちゃんが若いとき、ご主人が亡くなった、そして子供がなかった。ずっと長い間、一人で暮らしていた。誰もおばちゃんを手伝ってあげたかったが、おばちゃんの嫌な性格のせいで、みんなだんだん離れてきた。でも、理由ははっきり分からなかったが、私だけに対して嫌な態度を表示しなかった。ちっちゃいな私の思い出では、母の姿のほかにも、悲しいおばちゃんの姿もあった。

 

高校生のとき、先生に宿題として英語でのエッセイを書かされた。おばちゃんについて書いた。実は、そのとき、特別なテーマはなかなか考えられなかったので、一番易しい問題について書くことにした。書いているとき、なんか特別な感情がわいていなかった。でも、クラスメートの前で自分のエッセイを読んでいるとき、おばちゃんのことが頭の中に強く浮かんだ。結局、つい泣き出して、読み続けなかった。ベトナム語で書いたり、読んだりするとき、そういうことは一度も起こっていなかった。

  
to be continued ...
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2009年01月23日

宝箱



あなたには、「宝箱」を持ってるのか?お金、ダイヤが入った宝箱じゃなくて、思い出をかき立てる物が入った宝箱なんだ。

私は、ずっと昔から、好きなものを小さな箱に入れ慣れていた。箱んの蓋の面には英語で「きのう」という言葉は大きく書いてある。何でそう書いたのは、今もはっきり覚えていない。箱を開ける度に、思い出が頭の中にいっぱい浮んだ。宝箱に入った物は、一つずつ私の思い出につながっているものだ。

 

大学に入って、家族から離れた私は、ハノイへ持って行かず、故郷での家の秘密な所に隠すことにした。テトのような連休に帰るとき、家を掃除すると、宝箱を開けることになる。

 to be continued ...
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2009年02月12日

「さようなら」



@「大事な人から離れることが怖いと感じたことがあるのだろうか。

大事な人と別れることが怖いと感じたことがあるのだろうか。

そういう感じは、やっぱりひどい。

 

その人のそばにいる、残った数ヶ月や数日を大切したいと思っているが、なかなか難しい。その人の姿や笑顔を見ると、別れたくないという気持ちが強くわくとともに、送別日が目の前に寂しく、悲しくぼんやり現れる。その結果、涙が流れそうだ。そして、その人と話しかける勇気がなくなっちゃう」

 

&「前もって離れる気持ちに慣れるつもりなの?バカ。。。」

 

@「そうするつもりじゃないが、ただその気持ちをストップできないんだ。残った貴重な時間を無駄にしてるね、私は。。。」

    
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2009年02月18日

お年寄りを手伝うこと

  

「困っている老人を手伝うべきだ」というのは、子供のときから、親にだけではなく、誰にも教えてくれた基本的な道徳教訓だ。それは、道徳上の行動だけではなく、義務だと考えられている。手伝わないと、安心しないし、申し訳ないという気持ちがあるかもしれない。だから、ベトナムではお年寄りを手伝うのは、若者にとって、当たり前なことになっている。バスでおじいさんに席を譲る、おばあさんを連れて道を渡る、階段を下りるおばあさんを手伝う、重い荷物を持つおじいさんを手伝う若者の姿は珍しくない。

 

実は、この教訓はどんな国でも教えられていると思う。そして、若者がどんな国でも年をとった人を手伝いたがるとも思う。でも、ベトナムと比べて、日本では老人を手伝う若者の姿はあまり表していないそうだ。そのお年寄りの反応と考えは、この格差を起こした原因として挙げられるだろう。

   to be continued ...
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2009年03月05日

「かげ」

きのうベトナムの同性愛者に書かれた、「(かげ)という小説を読んだ


 
この「影」はどういう意味を持っていいるのか、ちょっと好奇心が出たから、読み始めた。辞書によると、影とは物体や人などが、光の進行を遮る結果、壁や地面にできる暗い領域である。その定義から分かるように、影は、ただ本モノの形を借りた真っ黒いものだけであり、いつも本モノにくっ付いているものである。言葉を変えれば、影の存在は、本モノにとってあまり意味をしていないわけである。ある面で考えれば、影がどうやら偽モノとして存在するかもしれない。

 
しかし、この小説を読んだ私は、同性愛者にとっては、逆に影が本モノだと感じる。to be continued ...
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2009年04月09日

赤信号

 

赤信号が面白い?

 

交通法規では、赤信号で止まるのが決まっている。それは当たり前で、誰にも知っているはずである。「法規を守るために」、「罰されないように」、「自分と他の人の安全のために」という理由のほかにも、「赤信号で止まるのが面白い」と思ってから、赤信号で止まる人もいるかもしれない。

 

「時間がかかる」と考え、赤信号が嫌だと思う人にとっては、それはありえない話かもしれない。確かに「赤信号が面白い」と感じて止まるのは、おかしいであるが、考えれば考えるほどやっぱりそれは面白い行動だと思う。

 

 to be continued ...
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2009年04月24日

娘方へ


お父さんは、娘が誕生する38年間もの前に生まれた。

 

お父さんは、「戦争」という言葉を痛感したし、物騒な時代に暮らしていた人間の苦痛が分かる。娘は平和時代に生まれ、成長しているから、本や映画や周囲の話を通して「戦争は本当に何か」とぼんやりしか分かっていない。

 

でも、娘は、戦争についてのドキュメントに興味がある。娘は、戦争で行方不明の家族を探す人を応援する「お別れが起こらないようだ。。。」と呼ばれる番組をじろじろ見る。娘はそもそも、戦争時代に生きていた貧しい人の暮らし方、無条件のお互いの助け合い方が好きだから。また、マニー、マニーにしか感心を持っていない近代の人の暮らし方が嫌だし、なかなか納得できないから、そのドキュメントに染みた昔ながらの清潔な雰囲気を味わいたいと娘が言った。要するに、娘にとっては、戦争というものはつらいものより、国民のすべての心の団結や周囲との分かち合いなどのきれいな人間関係についての教訓をもたらしたものだ。

 

娘と違って、テレビで戦争のことを語る番組をやるたびに、お父さんはいつも布団に入って寝る。戦争についてはあまり話さないが、話し始めたが最後、1945年の飢饉がどんなにひどかったのか、アメリカ帝国主義からの兵士がどんなに凶悪だったのかなどをつらいことしか思い出さないで語る。つまり、実験したお父さんにとっては、戦争というものは、どんな言葉でかばっても苦痛でつらかったものだから、お父さんは振りかえたくない。戦争の「何も不足」時代に暮らしたお父さんは、「豊かな生活ができるようにお金をたくさん稼がなければならない」という現代人の実利的な考え方が理解できる。だから、お父さんは、昔の人と今の人の暮らし方について比較し、評価したことはない。

歴史上の問題に対して、お父さんと娘の考えは随分違っている。

to be continued ...
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2009年06月10日

「泣いた赤鬼」

...手紙「親愛なる赤鬼くんへ。もし君が悪い青鬼の友達とわかったら、子供たちは君から逃げてしまうでしょう。だから僕はもう君には会いません。一人遠くへ行きます。どうか子供たちと仲良く暮らしてください。さようなら。青鬼より。」
赤鬼「ああ、青鬼くんが行ってしまった。あんないい友達だったのに。行ってしまった。」
赤鬼くんと青鬼くんは二度と会うことはありませんでした。                                                                     <泣いた赤鬼>

 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/akaoni.html

この昔話を読んだとき、ただ友情についての感動的な昔話だとしか思わなかった。でも、村上先生のブログを読んだ後、別の意味が教えてくれた。国際交流に関する、この意味はいろいろ考えさせている。


http://mongolia.seesaa.net/article/78794947.html
 

そして、私も別の意味を言いたいと思う。友達との関係、国際関係ではなくて、家族以内・親子の間の関係だ。ここでは「赤鬼−青鬼」という話も潜んでいると思われる。

to be continued ...
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2009年07月03日

私は、ベトナム人です


1年前に、あるブログの記事を読んだ。すっごく感動した。彼女は戦後生まれの若者であるベトナム人の我々の考え方をうまく書いてくれた。彼女は、ベトナムの若者が国への感情を正直に書こうと呼び上げた。実は、私は何度も書いてみたかった。けど、書けなかった。ペンを取り上げて、書き始めるたびに、気持ちがバラバラになって、どこから書いたらいいのか、迷っていた。結局、何も書けなかった。わが国について語りたいことが多すぎて、簡明な文章が作れなかったかもしれない。また、彼女の記事は私の考えをすべてまとめたような気がした。

 
だから、ここでは翻訳する。                              

  
私は、ベトナム人です

 
私は、国の平和時代に生まれた。戦争についてはあまり知っていないが、戦争の影響がよく分かる。我が国について触れると、「ベトナム戦争」などの言葉で呼ばれることがイヤだ。それは過去の話だった。世界の人々に我が国をただ「ベトナム」で呼んでほしい。 

私は、ブログの記事を書いたり、チャットしたりするとき、ベトナム語の文の中に英語の言葉をときどき利用する習慣がある。便利だから。でも、話すとき英語の言葉を所々使うのがイヤだ。正確な母語で話せたり、書けたりすることに誇りを持っている。それは、現代の若者にとっては簡単なことではないと考えられている。
 

ベトナム人としては、ベトナムの二人の王様である
L ê Thánh Tôn Lê Thánh Tông違うところを外国人の友達に説明してあげられなくて、恥をかいた。歴史の本を何冊も読んでも、我が国の歴史のことが正確に覚えられない。

外国の料理を食べたことが多いけど、ベトナムの料理が一番好き。ベトナムの料理には野菜がたくさん付いているから。(私は、そもそも野菜が大好き)ベトナムほど食事に野菜を利用する国がないと思う。ゴイ、フォー、バン・ベオ、バン・クオン、バン・セオなどが大好き。ベトナムでは下等なのにおいしい料理がたくさんあることに誇りを持っている。

他のベトナム人のように、私もバイクを一台と免許書を一枚持っている。バイクの姿なしのベトナムの道路を想像できない。渋滞、乗り物のクラクションのうるさい音が大嫌い。けど、バイクなしの生活が本当に大変だし、つまらないと思う。3月、4月か5月の夜、緑並木が二つ平行に立つサイゴンの道をバイクに乗ることが好きだ。それはタウ・ザウ(?)の花の咲く時間だ。胸が膨らむまでその微かな香りを吸い込むことが大好き。それは、車に乗ったらやれない、ストレスを解決するステキな方法だ。

私には、国の伝統的な衣服であるアオザイを着る機会があまりない。また、自分の人体を見るとアオザイを着る自身も出ない。しかし、衣類箪笥にかけるためだけのオーダーメードのアオザイを一着持っている。なぜかというと、ベトナムの女性としては自分のアオザイが一着もないのはみっともないからでしょ?

現在のベトナムの試験制度、教育制度が大嫌い。知識、認識に欠陥を負う若者を養育しているから。教育省新大臣が5年〜10年間後ベトナムの教育の状況を改善するという約束を守ると期待している。

庶民を困らせる官僚のやり方が大嫌い。成績病気も汚職も大嫌い。不平等が溢れているこの社会も大嫌い。しかし、何と言っても現在の政治体制に満足だと思っている。この体制のおかげで、ベトナムは今安定しているし、戦争もテロもないし、川のように血が流れる姿がないし。ベトナム人に生まれて、平和な国で生活が送れているのは本当によかった。

豊かな遠い国に住みに行く夢を抱くベトナム人が少なくないと聞いた。現在のベトナムの生活がつまらなくてたまらないと思って、高尚で豊かな生活ができるのは、穏当な欲求だと思う。しかし、彼らのように絶対にならない。ベトナムを出るのは当然だけど、それは旅行や留学などのため。ベトナム以外の所に住まないと自分に約束した。 


「私はベトナム人です」。私の名前さえそういうことを現す。自分の名前には「THI
」(ティ)があるから。ベトナムの女性はほとんどその「ティ」を持っている。それはずっと昔からのベトナム人の名前のつけ方の特徴だ。けど、現在その特徴を廃棄する傾向がある。今のベトナム人の親たちは子供たちに「ティ」なしのきれいな名前をつけている。「ティ」は私の名前を長くしているが、そのおかげで会わなくても誰も私の性が分かるようになる。「ティ」は私の名前を田舎臭い感じを与えると言われるが、名刺の表面に「グエン・ティ・タン・チュック」と完全に印刷した。「ティ」を排除して名刺を印刷する人が少なくない。しかし、私にとってはそれは本当の自分を認めないに等しいと思う。


ベトナムを愛していると言わない。本当にそうとは感じていないから。ベトナム人に生まれ、ここで成長したのは本当に良かったとしか言わない。そして、死んだらベトナムで死んでここで埋められると望んでいる。。。 

私は、ベトナム人です。
 ――to be continued ...
posted by ノラ猫 at 10:06| ハノイ | Comment(6) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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