2009年07月19日

魅力



ブハハハ...おもしろい!

このブログ
を見ると、笑わずにはいられない。これは、ある日本人がハノイで発見した面白いシーンを紹介するブログだ。ベトナム人である私はこのシーンを見慣れていても、我が国がおもしろい国だとは言わずにはいられない。(笑)どうして「ベトナムは活気が溢れる国」だと日本人によく言われるか、今分かってきた。

別の日本人のブログも見た。筆者は、名所に行きたいという理由だけでわざわざとベトナムを旅しないほうがいいと勧めた。実は、初めはちょっと腹が立った。(笑)しかし、よく考えればそれは聞くに足る忠告かもしてない。日本と比べたらベトナムの景色は、特色がないとは言えないけど、そんなにきれいではないと、ベトナム人の私までもそう思っているから。しかし、ベトナムで見るに足るのは、景色よりベトナム人の生活だ。「めちゃくちゃ」の生活だ。

この前の記事でカルチャーショックに触れたとき、「めちゃくちゃ」という言葉を使って現代のベトナムの状況を表した。外国人はベトナムの「めちゃくちゃ」をどういう風に見るのか、心配していた。特に、静寂と几帳面が好きだと言われている日本人ならば、この状況を受け入れにくいかもしれない。心配していた。

「めちゃくちゃ」状況は国の発達に悪い影響を与えていると考えられ、国民・政府がちゃんとした国に変化させることに取り組まなければならないと呼びかけられる。それは短時間で完成するわけがない。言い換えれば、この状況はこれから少なくとも10年間まだ続いていくと思う。もちろんベトナム人としては早く変えてほしいが、焦っても何も変わらないし、いつかこの一時的な「めちゃくちゃ」が除去されてしまう。ですので、この状況のおもしろい面を見ながら楽しむことにしたベトナム人が少なくないと思う。

その考え方のためか、「世界一幸せな国2009年」というリストの5位を占めたと報じられている。それは英国のシンクタンク、新経済財団というNEFに、世界各地の人々が感じる人生への満足度に加えて、環境に対する負荷の度合いや国への期待度などをそれぞれ数値に換算した幸福度指数(HPI)を算出され、作られたリストだ。「めちゃくちゃ」に対する超楽観的な態度だ。

華々しい風景や建築などより、それはベトナムの魅力かなぁと思い始めた。(笑)

posted by ノラ猫 at 12:45| ハノイ | Comment(2) | TrackBack(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

夏の涼しい日にホームレスばさんに出会うことを少し考え


乞食・物乞い

 

そして

 

浮浪人・ホームレス

...

 

同じであるか?違うか?

実は、同じか、違うと言ってもいいと思う。誤差が微妙だから。辞書を引いたら、日本語ではこういう風に定義されている。「やむをえない事情、あるいは本人の意思により、他人から物品や金銭の施しを受けて生活している者(物乞い(ものごい)、ものもらいともいう)。一般に住居を持たない貧困者(ホームレス)が行う事が多いと誤解されているため、転じてホームレスをさす言葉としても使われる場合がある。乞食は必ずしも住所不定ではない。」


 
ベトナム語では浮浪人・ホームレスという言葉はあることはあるが、普及していない。ベトナム人が使い慣れているのは、乞食・物乞いという言葉である。そして、浮浪人・ホームレスマンと言えば、乞食や物乞いをしながら生活する人々だと、思わず思い浮かべる傾向があるそうである。実際とは違うかもしれない。ホームレスマンが乞食をすると必ず言えるに限らない。to be continued ...
posted by ノラ猫 at 01:14| ハノイ ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

「余計な人生」


「余計な人生」は革命時代の文壇で有名なナム・カオという小説家の短編小説。「チーフェオの死」、「眼」と「余計な人生」は高校で勉強したナム・カオの3つの作品であった。フランス殖民主義の支配からベトナムを解放した「1945年8月革命」の前の農民の生活について物語る「チーフェオの死」(日本語に翻訳された)と違って、「余計な人生」はその時代の作家の生活について語る。


作家であるホーという主人公は小さい沼のように気詰まりな時代に暮していたという。ホーにとっては文章を書くのは人生の一番尊いで、集中と工夫とが必要な作業である。しかし、家族のために、文章を書くのは彼の金を稼ぐ方法に変化してしまった。言葉遣いとフレーズ組み立ることなどに煩くて厳しい作家というホーは、金をたくさん稼げるように早く早く書いてナンセンスで軽い作品を出すようになった。ホーの作品を読む読者の心には何も残っていなかった。それに、ホーに作られたものは彼自分自身にも文章として認められなかった。

to be continued ...
posted by ノラ猫 at 17:25| ハノイ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月25日

久々

ある土曜日の朝、過去のことを顧みる

奈良のガラガラ静寂な裏道を一人でブラブラしてた時の落ち着く感じを思い出す。

ガヤガヤで賑やかな甲子園の前に一人で立ってた時の孤独さを思い出す。

小さなスーツケースを東京駅の近くまで引っかけ、一人で夜行バスを待ってた時の、手が凍えるほどの寒さを思い出す。

翌日の朝夜行バスを降りた時のウキウキした感じ、ルミックスを手のひらの中に一人で大阪の空いた早朝市場をブラブラし始めた時のことを思い出す。

宮崎に向かって広々とした深夜の真っ黒な海上に進んでる船の甲板で一人で立ってた時のことを思い出す。

一人旅が終わって無事につくばに戻る度のほっとした感じを思い出す。

つくば駅の大きな交差点の真ん中で一人でスーツケースと一緒に立っており、朝早くまだ眠っているシーンとしたまま、太陽の光の下にピカピカするつくばを眺めてた時の落ち着いて温かい感じを思い出す。つくばはこんなに静かなんだと初めて分かってきた。

つくば駅から宿舎まで一人で暴風と大粒の雨の中に一人で自転車を漕いでた時の心細さを思い出す。つくば人の誰かに迎えにきてくれる人がこんなにほしかったと初めて分かってきた。

人間の存在の匂いが全然してない、冷えた部屋に「ただいま」と言ってた時の寂しさ、母に「お帰りなさい」と言って欲しくてたまらなかった感じを思い出す。でも、終に布団の中でぐっすり眠って翌日目が覚め、「ここはどこだ」という質問でつくばでの新しい日々を始める。

そう、日本での一人旅を思い出してる。


   孤独、寂しい、一人ぼっち… 大きな河の流れに流される砂の粉のように、真っ黒な海の中に微かに光る舷灯のように

   そして、胸を張りながら何だか理由なしでドキドキする一人旅の楽しみ… のび太君の家に囲まれる延々と延びている壁をのんびり旅するノラ猫のように


               「ワタクシはノラ猫でございました」


そう、過去形である。

もう旅できなくなった。「時間が作り物なんだ」とカッコウつけ他人に言ってるが、もうノラ猫に戻れないと覚悟。


「作れるもんかよ!ああああああああああああっ」


正しく言うともう人間に戻っちゃった。人間としてちんたらちんたらと言われたくないが、ノラ猫であったことを思い出さずにはいかない日々、懐旧の思いに耽る日々がいつまで続いていくのかしら。


さあ~、ノラ猫としても知らない、人間としても知らない … 

to be continued ...
posted by ノラ猫 at 02:02| ハノイ 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月31日

Hi, Sunday Hi, Sunday Hi, Sunday



日曜日。

僕は一人で引っ越してきたばかりのアパートでごろごろしている。暇すぎるけれども、僕は研究テーマについて真剣に考えるやる気なんて全然出ない。昨日、校長先生に借りてもらった3階建ての3階にある広々なアパートの中の小さな部屋を必死に飾って、自分の世界にした。残りのスペースを全部ルームメートに使ってもらう。部屋の中に用意してくれた箪笥に写真を何枚も貼ったり、今の若者がめったに見えないテーブルを兼ねるベッドに日本語、英語の本を置いたりした。僅かに10メートルぐらいの部屋が広々な残りのスペースよりかなり生き生きしている。ただ今、大きい窓のすくそばに80年の硬い木材の椅子に座って、パソコンに文章を叩きながら、外の景色を眺めている。「ほら、列車が来たよ」と読者の皆さんに向かって叫びたいのだが、列車はおそらく時刻表通りに走っているようで、僕の窓の100メートルぐらい離れている線路をまだ通っていない。そう、僕の借りてもらっているアパートの後ろ、すぐ100メートルぐらい離れているところに、僕のベッドとちょうど平行に並んでいる線路がある。今日の朝617分列車が通った。9時ごろもう一本通った。午後1314分ごろもう一本通った。今は38分まだ通っていないね。日曜日の今日、僕の楽しみは一日中列車は何本僕の後ろを通るのかを数えることだ。

皆さん、誤解しなでください。僕は全然孤独、または寂しがる人じゃない。そして孤独が好きなタイプでもない。そして今も一人で寂しいなと一切も感じていない。

はあ、僕はみなさんにタックラムのある有名な短編を思い出させるだろう。40年代ごろの貧乏で暗い小さな街に住んでいるリエンという13歳ぐらいの女の子と弟が毎晩いくら眠くても生の光のない彼らの町を通るにぎやかな列車が通過するまで待っていた、粗筋のない話を語る短編だ。僕はリエン達と違う。一つ、僕は今かなり生き生きしている町に暮らしている。あと、僕は列車がにぎやかだなぁという憧れを全然持たない。しかも、僕は列車からの騒音で頭が痛くなる。ただ、今日は日曜日で、僕は一人で、その上、台風でずっと曇っていたり、大雨だったりした悲哀な芝居のような昨日は閉幕してくれた。晴れてきた今日の青空の下に騒音作りの列車でも可愛くなる。僕は乗客と握手したいぐらい今日の列車を可愛がっている。

ああぁぁ、愛する読者の皆さん、ただ今列車が通っていまーーーーーす。

おもちゃのように可愛い。この3階の窓から列車を見ると、僕は自分がすうっとジャイアントになったような気がする。指2本だけで列車を摘めるじゃないかと、僕はふうっと思った。日曜日、列車、窓、お茶、ベトナム語の音楽、日本語の小説、英語のドラマ。パーフェクト。

とはいえ、この1ヶ月中の3回目の引越しにちょっと考えさせられた。1ヶ月にわたって、窓外の景色が3回も変わった。僕の宅はどこだっけと自分に聞きたいほど不思議に思った。僕の家はどこだっけ。僕は自由で、誰~誰さんのものになりたくないし、なろうとも一切思わない。僕は僕だけのものだ。自己中心と言われたことがあるが、僕は言い訳はしない。だが、人間だものといって、僕の居場所はどこなのか、と普通の人間のように悲しいほど自分に聞いたこともある。もちろん、僕には答えがちゃんとある。僕の居場所はちゃんとあるから。実家、親、友達。そう、みんなが我がままな僕を受け取ってくれている。僕は幸せなものだ。

ただ、僕は考え好きなタイプで、ナンセンスなことを考えるのが得意なタイプだ。僕は僕なりのやり方で今ライフを楽しんでいるけれども、

このままでもいいけれども、

… …

… … …

僕は何かをやりたい。僕には余計なパワーが眠っている。確かに余計なパワーなんだ。僕はあいつらを気にならなかったら、僕は今平気で安定したところに就職したりして、恋愛あるいは結婚でもしているかもしれない。でも、僕はイライラしながら、自分にこのパワーを何とか解放してあげたいという考えで悩んだり苦しんだりしているわけだ。

僕は…そう、僕は自分で自分を爆発させたい。

But … how?」 

年をとって省みると、これはキット僕の青春を有意味なものにする質問に違いない。ただ、今のところ、これは毎日僕の頭をくずっくずっ痛めている難解の質問に過ぎない。

僕はいつまで悩み続けていくかしら。
                  日曜日、2011731

posted by ノラ猫 at 18:48| ハノイ ☀| ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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