越境文学」「揺れる言葉」 「越境文学は外国人作家が書く日本文学」。3年間日本語を勉強しているベトナム人の私は初めて「越境文学」という概念を知った。感動した。越境文学の魅力を感じ、修了論文の研究問題として書こうと思い始めた。以下にはこの問題に関する自分を考えを少し述べてみる。
1. 越境文学の存在への疑問
この記事を読んだとき、頭に浮かんできた第一の疑問というのは「どうして外国人、非漢字文化圏出身の人までも母語をとらわれずにわざと日本語で文学を書いたのか」である。不思議だと思う。
第141回芥川賞に候補者として入ったイラン人のシリン・ネザマフィさんが挙げた理由は「日本に住み、日本語が一番書きやすい言語になっていた」である。ネザマフィさんと日本語で文学を書く外国人作家としてよく知られているそうであるリービ秀雄さんの場合から見ると、ほとんどの越境作家は日本に長い間日本に滞在したことがあると分かってきた。つまり、これらの作家は日本語能力が高いし、「日本語に対して意識的に結構なっている」と言えるだろう。言葉を変えれば、日本語は90パーセント作家の母語になってきたということではないだろうか。そのため、「日本語は敷居が高い」という壁を乗り越え、日本語で文章を作るのに努力しているかもしれない。
たぶん、その90パーセントは外国人作家を日本語で文章を書き始めようと促せただろう。しかし、外国人作家が日本語で次々文学を書き続けるのには十分ではないと思う。日本人作家の日本語で書いてある作品や、翻訳作品と違うところを作る秘密はその10パーセントにあると思う。「言葉の揺れ」を作るという大事な役割を果たす部分だと言っても過言ではないだろう。
to be continued ...
posted by ノラ猫 at 01:09| ハノイ ☀|
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