2009年06月29日

お誕生日おめでとう!


「フオンさん、21歳
お誕生日おめでとうございます」
21歳の君の夢というのは何ですか?

会話試験には「将来の夢を話そう」というテーマが出てきた。練習を始めたとき、迷っていた。私の夢は何でしょ?どんなに考えても、自分の夢は何か、全く分からなかった。夢を持っている人をちょっと聞きたいんですが、夢は一体何ですか?
夢は将来やりたいことと答える人が少なくないだろう。しかし、そういう定義のし方は納得できない。私には将来やりたいことは数え切れないものだから。
・ 日本に留学したい
・ 日本語を勉強するベトナムの学生たちを応援したい
・ アフリカへボランテイアをしに行きたい
・ 国の両端(HaGiang と CaMau)を旅したい
など
バラバラの「やりたい」ことがあるんだ。それは夢だと言われれば、毎日の夢が違うかもしれない。夢はもっと大きなことだと思っている。そして、その夢をかなうために、必死に頑張れるようになる。つまり、夢は、人間の生き方をちゃんと整理するというものである。言葉を変えれば、夢は一生の目標と言ってもいいだろう。

そうすれば、私は夢を持っていないと言える。人生の目標は何だろうか、21歳の私は、正直と言ったら、分からない。人生の一番やりたいことが見つけられなかったので悩んだときがある。しかし、そんなに焦る必要がないと今思っている。一生の目標を見つけるのは難しくて、確か青春時代の挑戦だ。その目標を発見するために、いろいろな道を行いてみなければならない。間違ったら、やり直し、もう一度スタートからゆくべきだ。それは若者ならではのやり方。

だから、今の私は夢を持っていないけど、日本語を学ぶという道を選んだので、頑張っている。着実に歩いている。将来一番やりたいのは何かに関わらず、今「やれることを100%の力でやる」だけと考えたい。

それは、21歳の誕生日の考え。

to be continued ...
posted by ノラ猫 at 03:25| ハノイ | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

作文から論文へと脱皮させる例 ^^



これは、去年書いた作文です。そして、工夫を入れられたあと、論文になります。^^

どうぞ、ご覧ください。to be continued ...
posted by ノラ猫 at 04:49| ハノイ 🌁| Comment(0) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

障害者・労働者



障害者と労働市場における「機会の平等」
 

障害者は普通人と違って、身体的、精神的な損害を受けた人である。しかし、そういっても、障害者は普通人と同じような権利の享有権を持っている。日本のような先進国では障害者の保健と福祉に関する政策の効果が証明されていると聞いた。ベトナムのような発展途上国ではこれらの政策はどうのように行われているのか。障害者に向いた政策がいろいろ講じられているが、効果的には少し疑わしい。

 

本稿では、ベトナムにおける障害者の事情を調べる。そして、障害者雇用事情を中心にして見ることにより、労働市場における「機会の平等」を障害者に与えるという政府の役割の実施を考察する。

to be continued ...
posted by ノラ猫 at 04:33| ハノイ 🌁| Comment(1) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

「泣いた赤鬼」

...手紙「親愛なる赤鬼くんへ。もし君が悪い青鬼の友達とわかったら、子供たちは君から逃げてしまうでしょう。だから僕はもう君には会いません。一人遠くへ行きます。どうか子供たちと仲良く暮らしてください。さようなら。青鬼より。」
赤鬼「ああ、青鬼くんが行ってしまった。あんないい友達だったのに。行ってしまった。」
赤鬼くんと青鬼くんは二度と会うことはありませんでした。                                                                     <泣いた赤鬼>

 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/akaoni.html

この昔話を読んだとき、ただ友情についての感動的な昔話だとしか思わなかった。でも、村上先生のブログを読んだ後、別の意味が教えてくれた。国際交流に関する、この意味はいろいろ考えさせている。


http://mongolia.seesaa.net/article/78794947.html
 

そして、私も別の意味を言いたいと思う。友達との関係、国際関係ではなくて、家族以内・親子の間の関係だ。ここでは「赤鬼−青鬼」という話も潜んでいると思われる。

to be continued ...
posted by ノラ猫 at 01:59| ハノイ | Comment(2) | ただ、しゃべり・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

競争社会が大嫌い!!!

入学競争社会である現在のベトナム 
  

経営では、利益・利潤を得るための競争が当たり前だとよく言われている。競争は、前に向かって進む人間の意志をかき立てる、欠かせないものだと主張する人が少なくない。独占企業の場合と違って、競争は企業の新製品開発や生産技術革新を促進して、生産力を高めるのに重要な役割を果たす。このように、経営における競争は積極的な促進効果をもたらす、不可欠なものである。

 

しかし、教育における競争は、生徒たちに悪い影響を与える、危ないものだと主張したい。ここで触れる教育における競争とは、具体的には「入学競争」である。「教育」とは子供の資質を育てるだけでなく、人格も育てることを目的にしているものだと定義される。しかし、純粋な生徒たちの頭に競争意識を詰め込むのは、子供の未熟な心を歪め、教育の本来の姿に逆らう行動ではないだろうか?

以下では、最近ベトナムの有名な電子新聞に載った「入学マラソン」論に基づいて、現在のベトナムで目立っている入学競争の状況を調べる。次に、入学競争の本質と生徒たちへ影響のし方を少し論じる。

 
to be continued ...
posted by ノラ猫 at 12:17| ハノイ ☁| Comment(0) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

ベトナムと日本の昔話



これは、暇な週末に古い書物から発掘された、大学2年生のときの作文だ。この作文は、初めてベトナム語に翻訳された日本の昔話の本を読んだときの気持ちを記した。一年も経っているが、昨日書いたばかりの作文かのように感じた。

 

ベトナムと日本の昔話

 
以前、日本の昔話を読むたびに、「なんだ、これは?おかしい昔話だなぁ」と自分に言っていた。というのは、それらの話の人物と最後の結末は、私がもう読んだベトナムや他の国の昔話にあまり似ていないと感じるからである。昔話というものは主人公がいつも善人で、最後の結末はいつもその主人公が幸福になるものだと思っていた。つまり、昔話はハッピー・エンディングで幕を下ろすべきだということである。それで、日本の昔話を読んで、ちょっとショックを受けた。
to be continued ...
posted by ノラ猫 at 05:17| ハノイ | Comment(2) | 作文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

私は、何でこのブログを書いているのか


この頃、lang-8という外国語の勉強者を協調するウェブを利用している。ここでいろいろな国からの人々は、勉強している言語で日記を書いてポストする。そして、他のメンバーが文法的な間違いと言葉遣いを直すということになる。本当に役立つウェブだと思う。いろいろ勉強になれた。

 

私のフレンドリストの中には日本語を勉強している女のロシア人がいる。彼女の日記を読んで初めて、感動した。理由は、言葉でうまく表されないが、日常的なことについてロシア人はどう考えるかは、初めてそんなに生き生きと感じられたからかもしれない。私たちは、別々の国に生まれ、別々の歴史・文化の流れに育っている。何でも違っている私たちに共通するのは一つしかない。それは、自自分の完璧ではない日本語により、自分の考えと感情を書くことだ。その感じは、日本人の書く日記を読むときと全く違う。

 

そして、日記をポストしたが早いか、コメントしたり間違いを直したりしてくれる。コメントが短いけど、書いたものを読んでくれて本当に嬉しかった。そして、すごく励みになった。そのとき、このブログのことを考え始めた。Lang-8でただ日常生活のことについて書く。ごく普通のことだから、どうしたら一番自然で正しい日本語で書けるように注意を払う。ブログを書くことと違う。ブログを書く前に、興味がある話題を探さなければならないし、文章の理論的な構成、面白い前置き、意味がある結論などに努力し、そして、自分の伝えたいことに注意しながら書かなければならない。ときどきうまくできなかった。Lang-8と比べ、ブログを書くほうが時間がかかるから、本当に大変だ。でも、やはり一番大変なのは、コメントしてくれる人が少ないことだ。寂しくないとは言えないけど、それよりちょっと困っている。

 to be continued ...
posted by ノラ猫 at 04:11| ハノイ ☁| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

タバコと貧困の悪循環

タバコと貧困の悪循環 

1492年、アメリカを発見したとき、コロンブスは、現地人が踊りながら、「タバッコス」と呼ばれる丸く巻かれたタバコを吸うことに気が付いた。それは初めてヨーロッパ人がタバコという植物を知った出来事だが、何千年か前にインディアンはタバコを広範に植え、吸うのに使っていた。その後、タバコは世界中に旅行を始めた。時間があまりかからず、世界の隅々に普及した。今までタバコは吸った人の半分を殺したと言われる。平均すると、世界中で一日中に1万人ぐらいがタバコを吸うことより死んでいると報じられている。それは、一日10件の大きな飛行機事故に遭よる死亡者の人数とイコールであるという。タバコは本当に治しにくい伝染病になってしまった。 

タバコの害についてはいろいろな研究が行われ、タバコの煙の害毒は明確に証明されている。しかし、喫煙者の数が年々減少していないし、国が貧しければ貧しいほど喫煙者が多くなるという。

以下では、タバコがどのように家族の家計と国家経済へ影響を与えているか、特にベトナムのような途上国で国民の生活がタバコにどうのように左右されているかを調べる。まず、タバコの害とその悪影響について考えてみる。次に、ベトナムに例をとって途上国の喫煙状況を見ることにより、タバコと貧困の関係を考察する。
to be continued ...
posted by ノラ猫 at 21:42| ハノイ | Comment(1) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月04日

POOR ハノイ ???



...交通事故

先月、交通事故に遭って、足がけがをしちゃったから、いつものように5階建ての校舎をうまく上ったり下りたりできなかった。すごく遅かったせいか、友達に待ってくれなかった。そのとき、一人でゆっくりゆっくり上ったり下りたりしながら、後ろから友達の背中を見た私は、「おいてけぼり」という気持ちのようになった。

 

...交通渋滞

連休が4日間続くので、今日ハノイから故郷へ帰った。渋滞に遭ったから、普通の1時半の代わりに、4時間がかかった。交通渋滞は、ハノイ人の常識に入ったほどのことだと認められているが、今日の渋滞はいつもと違い、逆的な質を持っているものへと変わってきた。渋滞は普通、都心や市内への道で起こっている。でも、今日は、反対になって、市外への道路で起こった。

 

車の中から道路を見たとき、回りの人々が誰でもできるだけ早くハノイを出て、故郷に帰りたがっていると感じた。みんなはハノイから逃げているような気がした。目の前に車が一線になって少しずつ動いている同時に、背なかの後ろには別のハノイが次第に現れてきた。私のような田舎者の姿がすでに消え去った、別のハノイへとだんだん変わってきた。自分の新しい姿を見たら、ハノイはどう考えているか、どう感じているかと、私は本当に知りたい。良かったなと嬉しく感じるのか、あるいは寂しく感じるのか?それに、今のハノイの姿を見た私の心には、どんな感じが湧いたら適当であろうか、ちょっと迷っている。

to be continued ...
posted by ノラ猫 at 11:17| ハノイ 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

ケータイ電話

「親は子供をケータイを持たせてやったほうがいいのか」

 

ケータイが豊かな人ならではのものとして認められた時代が、もう崩れてしまった。今ケータイを持つのがごく自然なことになっている。ケータイについての意識が変わっているに加え、ケータイサービスを経営する会社が市場において増えてきているに従って、利用コストがだんだん低下している。そして、携帯電話の加入手続きも簡単化されているし、ケータイそのものの価格も下がってきている。これらのすべての変化は、ケータイの活発的な普及を促した。

 

「ケータイ王様に忠誠心を尽く国民」になる若者の人数は、はるかに増えていく背景には、「ケータイが高校生にまで普及しているのは本当にいいか」「高校生にケータイを持たせるかどうか」という問いが挙げられてきた。この問題をめぐって、いろいろな議論が行われているが、結局「そんなに早く持たせるのは、良くない」「高校生にケータイを持たせないほうがいい」と結論されるようになった。しかし、世論がそういう風に決めたといっても、どうやらケータイを使う高校生の数が着実に増えていく。こんな反対状態になっている理由が多いが、ケータイが容易に手に届くツケが回ってきたと言ってもいいかもしれない。結局、親たちは、子供がケータイを持つ事実に対して、適当な反応を選択せざるを得ないという状態に置かれるようになる。

 

本稿では親の、「自分の子供がケータイを持っている」という現象に対する、親の反応について調べてみよう。そして、親の受け取り方は、どういう風に高校生の子供たちに影響を及ぼすのかにも触れる。

to be continued ...
posted by ノラ猫 at 11:46| ハノイ ☁| Comment(2) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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